デザイナー Shige アオキ   2

 

・デザイン学生から就職、そして転職

 
高校はデザインを学べるところに進んだ。2つのコースがあり、平面コース即ちグラフィック・デザインと彫刻に近い立体コースである。インダストリアル・デザイン教育というものにここで初めて巡り会うことになった。そしてある日、そのデザイン科で講師であった東芝の現役デザイナーの人から是非にと薦められ、就職希望先とした。そしてデザイナー人生が始まったのである。

実家の商売は第一次オイルショックがあった1973年頃 だんだん縮小せざるをえず、世の中は激安店が増えていく時勢で全国のタバコ屋、雑貨屋、酒屋などが消えていった。いわゆる社会の仕組み、流通が大きく変わっていった時代でもあった。実家の生活は、兄も私も大学に行かせてもらえる家庭環境ではなくなったため、父親へ自分からこの就職話をもっていったことでとても安堵していたようだった。

 

仕事場は銀座数寄屋橋にあった東芝ビルで働くことになり、まさに都会の中心で‘デザイナー‘という肩書をもつことになり快適な年月であった。最初の仕事は家電デザイングループに配属された。この時代、発売すればガンガン売れる時代でもあった。掛け時計、電子ジャー、健康機器、洗濯機、ドライヤー、美容機器 等々 いろいろな機器をデザインした。一番多くのプロジェクトを担当していた時期、7つ程を同時にということもあった。毎月のように何かが発売時期となり、その忙しさもなつかしい。

特に記憶しているのは 毎日のようにクレイ(粘土)室でクリーナーのデザイン造形に励んでいたことである。その時に大変厳しい指導を受けたことを思い出す。改めて上司であるM氏と出会った運命に感謝している。日々の仕事だけではなく、「いつでも他の会社で働ける一丁前のデザイナーを目指せ!」、「どうせやるなら独立を目指せ。」と仕事を終えた後、銀座ガード下あたりで酒をかわしながら暖かい説教をもらったことを今でも鮮明に覚えている。

 

そして四年後くらいだったか、米国の会社にいた元東芝の先輩からスカウトの話しがあり Texas Instruments Inc.( TI社)という会社に転職。このころ22歳であった。そして入社後すぐさま米国へ飛ばされ、全く話せない英語で苦しんだことを思い起こす。お陰さまで数年後には英語で会議に参加出来るようになり、度胸があれば人生なんとかなるものだとこの時おそらく初めて思い知った。TI社では国際的な上司に恵まれデザイン業務以外に海外デザイナーに立ち向かう度胸をつけさせてもらった気がする。そして米国の会社では驚いたことに教育助成制度があって、希望していた大学で学ぶことになった。これも上司であったN氏とT氏の働きで大変感謝している。日本での拠点は青山オフィス、アメリカでは田舎町で思い出深いTexas州 Lubbock、そしてDallas、Huston のオフィスへと、10年間何度も行ったり来たり動き回った。加えてアジア地域の製造現場でのデザイン管理もあり、落ち着いて日本にいることがなかったような気がする。10年もすると大阪や九州の出張と何ら変わりがないものとなり、海外が海外でなくなり、外国人が外国人に見えなくなり、時には日本に戻って働いている時でも自分が外国人になってしまったような気がしたこともあった。

 

TI社でデザインしたものはデジタル・ウオッチ、電卓、プリンター付き卓上電卓、パーソナル・コンピューター、エデュケーショナル・ツール、半導体製造機器とその領域は広い。さらには未来製品開発として5~10年先に製品化されるであろうというコンセプトデザイン(advanced design)の開発であり、自分にとって得意とする領域。製品企画の前段階で、TI社がNASA(アメリカ航空宇宙局)へ技術協力している資料をみて、コンシューマー・プロダクツに応用できそうなデバイスを見つけだし、アプリケーションから構想を考え、アイデアスケッチを描き、企画者らと共有しながら製品化するというドリーミーなプロジェクトであった。

この頃は30代後半、結構アメリカナイズされていた自分に、加えてサムライ気性も重ね持った自分が懐かしく、人からもよくそう言われていた。
その後、独立を目指す人生計画へと。新たな経験や勉強のためTI社は10年後に退職した。起業する計画は東芝デザイナーであった時からの思い。独立した後の自分のキャパシティをとにかく多面的に強化することが少しでも成功につながると信じていたので色々な会社での多分野経験が必要であった。

次に移った仕事先はDesign Club International社。経営者は元イタルデザイン (Ital Design) やBMWのデザイナーである。インテリアデザイン、エクステリアデザインの他、ランドスケープデザイン、ゲームデザイン等の実績がつき大変勉強になった。その後今のaoki design社でも大いにその経験が役立っている。
人生にはラッキーなことが結構あるようで、この会社では実力のある一流のカーデザイン経験者が多く、ドイツ、イタリア、アメリカ、そしてイギリス、韓国からもスカウトされたデザイナーが在籍していた時期でもあって、多くのデザインテクニックを学べるチャンスでもあった。また、TI社で学んだ英語がこのとき大変役に立ち、デザインのことを語り合うことができてとても楽しい体験になった。

カーデザイン会社に入ったもう一つの理由として、過去の同僚達が既にアウディやポルシェのカーデザイナーとして活躍していたことが羨ましかったこともあり、"ついでにカーデザインも習得してしまえ"という乗りでこの会社に即入社、その体験は大変貴重な機会となった。

 

思い返せば、3回の転職いずれの場合も金曜日に退職し、翌週の月曜には次の会社にという、ある意味計画的でもあった気もする。もちろん計画とは、起業してより多くのプロダクトデザインを経験し世界に通用するデザイナーになりたかった、そして多くの人に喜んでもらうことを志していたのです。なので休むことよりデザインワークが楽しくてしょうがなかった。

 

そして、4年が経過する頃、そろそろ起業する時期が来たかなと思い、実行に移した!

 

 企業内デザイナーとしての経験は 「デザインとは?」の問いの連続

1.幼少の頃 <  > 3.独立

高校デザイン科時代

TOSHIBA時代

Texas Instruments時代

Design Club International時代